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細川潤次郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從二位、勳一等
爵位・身分・家柄男爵、舊高知藩士
職業文學博士、樞密顧問官、議定官、宗秩寮審議官
性別男性
生年月日天保五年二月二日 (1834)
親名・続柄 細川延平の子
家族妻 正 弘化元、五生、貴族院議員西村亮吉妹
男 一之助 明四、八生、正五位勳七等、内藏寮屬
婦 芙蓉子 明一三、八生、長男一之助妻、公爵大山巖二女
男 源二郞 明六、一二生
婦 廣 明一七、二生、二男源二郞妻、東京、士、吉田勝任妹
男 源三郞 明九、一一生
婦 孝子 明一九、五生、三男源三郞妻、子爵青山幸宜二女
記述部分(略伝)君は舊高知藩士細川延平の男にして天保五年二月二日を以て生る甞て藩命を以て幕府操練場に入り航海學を學ひ明治四年藩選により歐米に留學し同十九年元老院議官に任せられ同院廢止と共に貴族院議員に任せられ同院副議長たり其後華族女學校長東宮太夫學習院長樞密顧問官議定官宗秩寮審議官となり又大禮使御用掛を仰付らる
家族は前記の外孫須賀子(明三、六生、二男源二郞長女)同嘉智子(同三八、一二生、同二女)同泉一郞(同四一、八生、同長男)同純子(同四三、一二生、同三女)同達二郞(同四二、三生、三男源三郞二男)同達三郞(大二、一生、同三男)同豐子(同元、八生、長男一之助長女)あり
四女淑子(明一四、九生)は高知縣士族山岡熊吉に長女澄子(同元、九生)は岡山縣士族高島虎太郞に二女淳(同一〇、八生)は山口縣士族陸軍一等軍醫正宍道弘一に三女滋(同一〇、八生)は山形縣士族黑井悌次郞に嫁し四男源四郞(同一六、五生)は細川菊雄の跡を相續せり
住所・電話番号東京、神田、駿河臺北甲賀町一 電話本局三五六
参照人物(親類)公爵大山巖、子爵青山幸宜西村亮吉黑井悌次郞、※伯爵渡邊千春、※男爵井田磐楠
参照次数6 (※なし4)
読みほそかわ じゅんじろう
別名
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