一條實輝 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳三等、功五級 | |
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爵位・身分・家柄 | 公爵、舊公卿 | |
職業 | 海軍大佐、宮中顧問官、貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應二年八月二十四日 (1866) | |
親名・続柄 | 四條隆謌の七男 | |
家族 | 妻 悦子 明一〇、九生、侯爵細川護成妹 養子 實孝 明一三、三生、二女經子夫、侯爵大炊御門幾麿甥正五位勳四等功五級海軍少佐 女 經子 明一八、九生、養子實孝妻 | |
記述部分(略伝) | 當家は内大臣藤原鎌足の後從一位攝政太政大臣道家の三男實經より出づ實經第を一條に構ゆ故を以て一條と改稱し當家の祖たり後内基に至り嗣子なきを以て後陽成院第九の皇子を請ふて家を繼しむ其裔今に至る 君は侯爵四條隆謌の七男にして慶應二年八月二十四日を以て生る幼名を孝丸と云ひ明治十六年九月先代實良の養子となり同九月家督を相續して今の名に改め同十七年七月公爵を授けらる同年海軍兵學校に入り業を卒へて海軍少尉に任ぜられ同二十二年佛國留學を命ぜられ同二十五年歸朝して大尉に昇進し吉野分隊長を命ぜらる同二十八年征清役の功に依り功五級金鵄勳章を賜はり勳六等に叙せらる次で橫須賀水雷艇隊艇長和泉分隊長橫須賀水雷團副官龍田水雷長橫須賀鎭守府兵事官佛國公使館附武官等に歷補せらる現時貴族院議員にして從二位勳三等に陞り海軍大佐たり 家族は前記の外三女朝子(明三五、六生)二男實光(同三九、五生)三男實英(同四〇、九生)四女直子同四一、一一生)五女圭子(同四四、一一生)六女生子(同四四、一一生)孫正子(同四三、三生、養子實孝長女)同重子(同四四、三生、同二女)同實大(大元、九生、同二男)あり 長男實基(明三四、一生)は男爵を授けれて分家▲養女信子(同一二、四生、侯爵醍醐忠重姉)は子爵水野忠亮に同靜子(同二〇、七生、同上)は男爵木邊孝慈に養姉堯子(嘉永六、四生)は男爵水谷川忠起に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、福吉町二 電話新橋一二七六 | |
参照人物(親類) | 侯爵細川護成、侯爵醍醐忠重、侯爵四條隆愛、侯爵大炊御門幾麿、子爵水野忠亮、男爵木邊孝慈、男爵一條實基、男爵水谷川忠起、※男爵細川護立 | |
参照次数 | 10 (※なし8) | |
読み | いちじょう さねてる | |
別名 | 孝丸 |