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相良賴紹 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級勳四等
爵位・身分・家柄子爵、舊肥後人吉藩主
職業
性別男性
生年月日嘉永六年十二月二十五日 (1854)
親名・続柄 相良長福の長男
家族妻 中子 安政四、五生、公爵德大寺實則妹
養子 賴綱 明九、一一生、亡養父賴基男、從五位
婦 壽子 明一八、一生、養子賴綱妻、子爵稻葉順通妹
記述部分(略伝)當家は藤原鎌足の孫左大臣武知麿の裔駿河守時理の次男遠▲守維兼の後なり維兼の孫右京大夫周賴遠州榛原郡相良の庄を領したるより地名を採て氏となす周賴より四世を經て三郞長賴に至る建久九年肥後國人吉の庄を領す長賴より十一世を經て宮内少▲長毎に至る長毎關ケ原大阪等の役に功あり人吉二萬二千石を領すそれより二十一代を經て賴基に至る君其後を襲く
君實は先々代長福の長子にして嘉永六年十二月二十五日を以て生る幼名を武之進と云ひ賴基の養子となり同八年五月家督を相續す同九年十二月宮中祇候となり華族部長局書記同局主典等に歷任し同十七年子爵を授けらる貴族院議員に當選すること二回曩に日露事件の功に依り勳四等に叙し旭日小綬章を賜はる
家族は前記の外孫賴知(明三七、四生、養子賴綱長男)同島子(同三九、八生、同長女)同充子(同四二、四生、同三女)同綱二(同四四、六生、同二男)同郁子(大二、九生、同四女)
養弟基直(明一四、四生)は島津久實の養子となり男爵家を襲き久賢と改名し長女貞子(同一〇、四生)は子爵福岡孝弟嗣子秀猪に養妹弘子▲同一〇、七生)は子爵京極高備に二女鴻子(同一四、一〇生)は特命全權大使杉村虎一に嫁せり
住所・電話番号東京、麻布、飯倉片町六 電話芝一二九八
参照人物(親類)公爵德大寺實則、子爵京極備高、子興稻葉順通、男爵島津久賢福岡秀猪杉村虎一、※侯爵西園寺公望、※伯爵中院通規、※子爵加藤泰秋、※子爵阿部正功、※男爵住友吉左衛門
参照次数11 (※なし6)
読みさがら よりつぐ
別名武之進
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