佐々木忠次郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 理學博士、東京帝國大學農科大學教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政四年八月十日 (1857) | |
親名・続柄 | 佐々木長淳の長男 | |
家族 | 父 長淳 天保元、九生 妻 多〓 明元、八生、男爵堤正誼二女 男 城 明二六、一一生 | |
記述部分(略伝) | 君は東京府士族佐々木長淳の長男にして安政四年八月十日を以て生れ明治三十七年十二月家督を相續す同十四年理科大學を卒業して理學士の稱號を得職を農商務省に奉す同十五年駒場農學校教授に任せられ十九年第一高等中學校教諭兼東京農林學校教授に同二十三年農科大學助教授兼第一高等學校教授に任し同二十四年理學博士の學位を受け農科大學教授に榮轉し同四十三年五月學術視察研究を兼ね歐米各國へ出張を命せらる現時尚ほ引續き其職に在り 家族は前揭の外五男五郞(明三一、三生)六男六郞(同三二、九生)五女花(同三四、四生)六女しつ(同三六、二生)七女道子(同四〇、二生)八女菊(同四一、一一生)あり 長女麟子(同二一、一二生)は神奈川縣平民田中左右宜長男敏に二女雪子(同二五、一〇生)は東京府士族小川良貞養子六三郞に三女千穗(同二八、一一生)は工學博士古市公威長男六三に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、青山南町六ノ一二〇 電話芝二五七 | |
参照人物(親類) | 男爵堤正誼、古市公威、※侯爵佐々木行忠、※丸田秀實、※岡村輝彦 | |
参照次数 | 5 (※なし2) | |
読み | ささき ちゅうじろう | |
別名 |