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岡村輝彦 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正六位
爵位・身分・家柄東京府士族
職業法學博士、辯護士
性別男性
生年月日安政二年十二月二十日 (1856)
親名・続柄 岡村義昌の長男
家族母 瀧尾 天保、一一、一〇生
妻 よし 明一〇、五生、男爵堤正誼四女
男 將 明二五、六生
女 晴子 明三三、八生、學習院女學部在學
記述部分(略伝)君は舊舞鶴藩士岡村義昌の長男にして安政二年十二月二十日を以て生れ明治三十七年家督を相續す明治九年英國に留學爾來司法省民事局控訴院判事大審院判事橫濱地方裁判所長に歷補し正六位に叙せらる曩に法學博士の學位を受く後官を辭して辯護士となり專ら訴訟事務に從事し其名聲嘖々たり
家族は尚四男三二郞(明三二、六生)五男於莵彦(同三五、三生)四女愛子(同三、六)六生)六男康彦(同三八、八生)七男俊彦(同三九、一二生)八男健彦(同四一、八生)五女依子(同四四、一生)あり
長女絹子(同一九、一二生)は東京府平民林茂雄養子春雄に二女幸子(同二二、一一生)は大阪府士族緖方銈次郞弟知三郞に嫁し弟龍彦(同三、七生)は其妻子と共に分家せり
住所・電話番号東京、豐多摩、千駄ケ谷町穩田一七三 電話芝三二「住宅」
京橋、南鍋町二ノ五 電話長新橋三三九「事務所」
参照人物(親類)男爵堤正誼岡村龍彦緖方銈次郞林春雄、※佐々木忠次郞、※丸田秀實
参照次数8 (※なし5)
読みおかむら てるひこ
別名
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