古市公威 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 舊姫路藩士 | |
職業 | 工學博士、貴族院議員、東京帝國大學名譽教授、東亞興業株式會社社長、相模水力電氣株式會社取締役、九州水力電氣株式會社顧問 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政元年七月十二日 (1854) | |
親名・続柄 | 古市孝の長男 | |
家族 | 妻 こう 萬延元、一二生、千葉、平、川名近太郞長女 男 六三 明一八、六生 婦 千穗子 明二八、一一生、長男六三妻、理學博士佐々木忠次郞三女 男 啓次 明一九、三生 男 昇吾 明二〇、四生 男 基介 明二四、八生 男 周六 明二五、八生 女 靜 明二八、一二生、お茶水高等女學校出身 女 和歌子 明三一、九生 妹 らく 安政四、七生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊姫路藩士古市孝の長男にして安政元年七月十二日を以て生る夙に大學南校を卒業し明治八年佛國に留學巴里大學に入り同十三年歸朝後奉職して土木局雇内務文部兩省の御用掛内務技師工科大學教授工科大學長内務省土木技監同土木局長遞信次官遞信省官房長鐵道作業局長官韓國統監府鐵道管理局長京釜鐵道總裁等に歷任し正四位勳一等に叙せらる曩に工學博士の學位を受け多年學界に貢献したる勳績を以て特旨により東京帝國大學名譽教授に列せられ又貴族院議員に勅選せらる現時前揭諸會社の重役又は顧問たり 七男保彦(明二六、八生)は栃木縣士族飯田英三の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、弓町二ノ三四 電話下谷一 | |
参照人物(親類) | 飯田英三、佐々木忠次郞 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | ふるいち こうい | |
別名 |