山内豐景 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳三等、功五級 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、麝香間祗候、舊高知藩 | |
職業 | 陸軍步兵少佐、貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治八年九月二十日 (1875) | |
親名・続柄 | 山内豐範の長男 | |
家族 | 妻 禎子 明一八、六生、伏見宮貞愛親王第一王女 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の曾孫左大臣魚名の後裔鎭守府將軍秀鄕十世の孫山内首藤刑部丞俊道の後山内孫兵衞行方七世の孫日向守久豐長男但馬守盛豐の三男土佐守一豐の後なり十三世を經て豐信に至る豐信維新の際皇室の恢復を計り大政の奉還を德川氏に勸誘し維新の大業を翼賛せり豐範其跡を嗣き明治十七年七月侯爵を授けらる 君は其長男にして子爵山内豐陽の從兄男爵山内豐政の違從弟なり明治八年九月二十日を以て生れ同十九年九月家督を相續し襲爵仰付らる同三十三年陸軍步兵少尉に任せられ累進して同四十三年十二月步兵少佐に陞る曩に日露戰役の戰功に依り功五級金鵄勳章を賜はる現時貴族院議員たり 妹壽子(明一九、七生)は子爵大關增輝に大々伯母綱子(弘化四、六生)は侯爵淺野長勳に伯母諒鏡院(天保一一、二生)は侯爵佐竹義生祖父義睦に嫁し同豐靜(明一六、六生)は同三十九年男爵を授けられ分家し弟豐中(同一八、五生)も亦其妻美艸子(同二六、九生、千葉、平、木内重四郞長女)を伴ひて分家し四代前豐熈二女瑛昌院(天保一二、三生)は伯爵酒井忠篤兄恕に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、麴町七ノ二〇 電話番町一八五 | |
参照人物(親類) | 伏見宮家、侯爵淺野長勳、侯爵佐竹義生、伯爵酒井忠篤、子爵大關增輝、子爵山内豊陽、男爵山内豐靜、男爵山内豐政、木内重四郞 | |
参照次数 | 9 (※なし9) | |
読み | やまうち とよかげ | |
別名 |