淺野長勳 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從一位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、麝香間祗候、舊廣島藩主 | |
職業 | 貴族院議員、株式會社十五銀行取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十三年七月二十三日 (1842) | |
親名・続柄 | 淺野懋昭の長男 ** | |
家族 | 妻 綱子 弘化四年六月生侯爵山内豐景四代祖豐凞四女 養嗣子 長之 元治元年五月生伯父懋績七男 婦 恭子 明治十年十二月生子爵大河内輝耕姉 | |
記述部分(略伝) | 當家は源滿仲九世の後裔淺野光時の末流淺野又右衞門長勝の子彈正少弼長政の後なり長政より十一代長訓を經て君に至る 君は先代長訓の弟懋照の子なり天保十三年七月二十三日廣島に生る幼名を喜千槌又爲五郞と云ふ明治元年十一月今の名に改む安政三年三月先代長訓の養子となり同五年十一月家督を相續す慶應三年議定職を同年正月會計事務總裁を同二年二月參與職を同三月議定仰付られ權中納言に任じ同五月麝香間祗候を同六月廣島藩知事を仰付られ同十三年元老院議官に任じ同十五年特命全權公使に任じ伊太利國駐劄を仰付らる同二十二年十二月貴族院議員となり同二十九年從一位に叙せられ同三十年八月華族令第十八條により第四號事件評議員仰付らる 從弟守夫(安政二年十二月生)は故淺野道興の後を繼ぎ再從弟長和は東京府士族淺野正言養子となり 孫長武(同二十八年七月生)同禮子(同二十九年十一月生)同峯松(同三十三年七月生)は家にあり 弟正桓(嘉永四年十二月生)は伯爵河部正方の養子となり現に其戸主たり女益子(慶應三年二月生)は伯爵松浦詮の男厚に嫁し弟養長(同四年九月生)は分家せり弟久任(同四年五月生)は伯爵故中川久世の養子となり現に其戸主たり | |
住所・電話番号 | 東京市本鄕向ケ岡彌生町三 電話下谷八一 | |
参照人物(親類) | 侯爵山内豐景、子爵大河内輝耕、伯爵河部正桓、伯爵松浦詮、男爵淺野養長、男爵淺野守夫 | |
参照次数 | 7 | |
読み | あさの ながこと | |
別名 | 喜千槌、爲五郞 |