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淺野長勳 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級從一位、勳一等
爵位・身分・家柄侯爵、麝香間祗候、舊廣島藩主
職業貴族院議員、東京府多額納税者
性別男性
生年月日天保十三年七月 (1842)
親名・続柄 淺野懋昭の長男
家族養子 長之 元治元、五生
記述部分(略伝)當家は源賴光八世の裔淺野判官光時の末流淺野彈正少弼長政の後なり長政豐臣氏に仕へ其樞機に參し五奉行の首座となり甲斐國二十二萬五千石を領す其子紀伊守幸長征韓の役に功あり關ケ原の役德川氏に屬し紀伊國三十七萬四千石に轉じ其弟但馬守長晟大阪の役の功を以て安藝備後兩國の大守となる夫より十一世を經て君に至る
君は先代長訓の弟懋昭の長男にして天保十三年七月を以て生れ安政五年支封淺野家を相續し更に長訓の養子となり明治二年本藩四十二萬六千石の封を襲ぐ明治維新の際勅を奉じて王政復古の大業を翼賛し當時勤王七藩の一として各地に轉戰して功あり議定職兼會計事務總督に任ぜられ後廣島藩知事元老院議官伊國駐箚特命全權公使等に歷任し明治十七年侯爵を授けらる尋で宮内省出仕兼華族局長官となり同二十三年貴族院議員に擧げられ現に其職に在り麝香間祗候にして能樂謠曲を趣味とす
弟正桓(嘉永四、一二生)は伯爵阿部正方の養子となり其子正直家督を相續し同雪年(文久元、七生)は鴻雪爪の家督を繼ぎ末弟養長(明五、九生)は分家して男爵を授けられ從弟守夫(安政二、一二生、伯父懋績二男)も亦淺野道興の家督を相續して男爵を授けられ同倉吉(明四、五生、同十男)は伯爵中川家を嗣ぎ久任と改名し當主たり
住所・電話番号東京、本鄕、向ケ岡彌生町三 電小石川八
参照人物(親類)伯爵阿部正直、伯爵中川久任、男爵淺野守夫、男爵淺野養長淺野長之
参照次数6 (※なし5)
読みあさの ながこと
別名
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