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德大寺實則 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級從一位
爵位・身分・家柄侯爵、舊公卿
職業待從長兼内大臣、貴族院議員
性別男性
生年月日天保十年十二月六日 (1840)
親名・続柄 德大寺公純の長男
家族妻 銀子 嘉永五年七月生子爵青山忠允姉
男 公弘 文久三年八月生
男 則麿 明治十一年十二月生
男 彬麿 明治十五年十二月生
女 治子 明治十四年四月生
婦 久子 慶應三年六月生伯爵松平基則姉公弘妻
女 伊楚子 明治十一年一月生
弟 威麿 萬延元年五月生
記述部分(略伝)當家は藤原鎌足第十世の孫師輔の十男公季十五世の孫公實五男實能の後なり世德大等と稱す其子公能より十五代を經て公信に至り更に五世を經公城實祖繼ぎ又更に二世を經て公純に至る
君は其長子なり天保十年十二月六日を以て京都に生る慶應四年參與職、議定職、内國事務局督等に補し權大納言に任ぜられ爾後内延知事麝香間祗候侍從長華族局長爵位局長官等に歷任し勅使及宣命使たること前後四回に及ぶ明治十七年七月侯爵を授けらる
女蓁子(明治七年十二月生)は京都市平民三井高縱に妹照子(文久二年一月生)は子爵阿部正功に嫁し弟隆麿(元治元年十二月生)は大阪府平民住友登久子女滿壽子の婿養子となり吉左衞門と改名し妹福子(嘉永四年九月生)は子爵加藤泰秋の同中子(安政四年五月生)は子熟相良賴沼に嫁し男宣麿(元治元年十二月生)は男爵高千穗有綱の養子となり現に其戸主なり女祚子(同五年十一月生)は侯爵佐竹義正に女順子(同四年五月生)は公爵鷹司凞通に嫁し
孫英磨(同二十年十二月生)は家にあり
住所・電話番号東京府豐多摩郡千駄ケ谷村四九八
参照人物(親類)伯爵松平基則、子爵青山忠允、子爵加藤泰秋、公爵鷹司凞通、候爵西園寺公成、男爵高千穗宣麿、子爵阿部成功、子爵相良賴紹
参照次数9
読みとくだいじ さねのり
別名