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青山忠允 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄子爵、舊丹波篠山藩主
職業
性別男性
生年月日明治十八年十一月二日 (1885)
親名・続柄 青山忠惇の長男
家族大叔母 銀子 嘉永五年七月生
記述部分(略伝)當家は攝政關白藤原師實の支裔正二位内大臣師繼の後なり後四代を經て右京權大夫師重に至り青山藏人佐と稱すそれより七代の後從五位下播磨守忠成德川秀忠の傳たり慶長六年封邑一萬五千石を賜はり江戸町奉行となる後六代忠朝寬延元年同國篠山城主となりそれより五代君に至る
君は故青山忠惇の長男にして子爵成瀨正肥の弟なり明治十八年十一月二日を以て生れ同二十年七月養はれて先代忠誠の子となり同年九月家を續ぐ幼名惇旭を今の名に改む
養叔母きん子(嘉永五年七月生)は侯爵德天寺實則方へ入籍し同まさ子(明治二年十一月生)は伯爵阿部正桓先々代正教妻に養叔母雅子(明治二年十一月生)は子爵阿部正敬に嫁せり
住所・電話番号東京市赤阪區表町三ノ六 電話新橋一一一四
参照人物(親類)侯爵德大寺實則、伯爵阿部正桓、子爵阿部正敬、子爵大關增勒、子爵栃木綱點、子爵成瀨正肥
参照次数6
読みあおやま ただのぶ
別名惇旭