鷹司熈通 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳五等 | |
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爵位・身分・家柄 | 公爵、舊公卿 | |
職業 | 貴族院議員、陸軍步兵少佐 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政二年二月十六日 (1855) | |
親名・続柄 | 鷹司輔凞の十一男 | |
家族 | 妻 順子 明治四年五月生侯爵德大寺實則女 女 房子 明治二十年十二月生 男 信輔 明治二十二年四月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足十七代の嫡孫太政大臣忠通の子にして近衞家の祖なる基實の孫家實の男太政大臣兼平より出づ兼平京師鷹司町に邸せしを以て人呼んで鷹司殿と稱し遂に當家の稱號となれり其子基忠より九世の孫忠冬に至り中絶し左大臣晴良の三男信房を立てゝ相續せしむ信房より十二世を經世々三公の顯職にあり五攝家の一として繼承し從二位輔政に至る 君は其弟にして輔凞の第十一子なり安政二年二月十六日京都に生る明治五年家督を相續す幼より尚武の氣あり陸軍戸山學校に入り同十年陸軍少尉試補に同十二年同少尉に任じ同十七年七月公爵を授けられ同年中尉に任じ嘉仁親王殿下御附添仰付られ同二十三年貴族院議員に列し四度東宮行啓供奉を仰付られ同三十一年陸軍步兵少佐に任じ同年第一師團軍法會議判士長を命ぜられ同三十二年華族令により第一號及第二號事件評議員仰付らる明治元年十二月從五位上より同三十二年六月從二位勳五等に昇叙せらる 家族は前記の外男信凞(明治二十五年一月生)同信淳(同二十六年十月生)同信敬(同二十八年三月生)あり 養女晃子(同九年十二月生男爵松園尚嘉女)は子爵曾我祐凖男祐邦に姉治子(嘉永元年六月生)は公爵三條公美の父故實美に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市麴町區上二番町二五 電話番町三一九 | |
参照人物(親類) | 公爵三條公美、侯爵德大寺實則、子爵曾我祐凖、男爵松園尚嘉 | |
参照次数 | 5 | |
読み | たかつかさ ひろみち | |
別名 |