松浦詮 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、麝香間祗候、舊肥前平戸藩主 | |
職業 | 貴族院議員、御歌所參侯 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十一年十一月十八日 (1840) | |
親名・続柄 | 松浦守熈の三男 | |
家族 | 妻 澄子 天保十四年十一月生子爵青山幸宜姉 男 厚 元治元年六月生 同 凖 明治二年五月生 女 宣子 慶應元年四月生 同 冏子 明治十二年一月生 婦 益子 慶應三年二月生侯爵淺野長勳女厚妻 同 成子 明治十三年二月生男爵伊達邦成女凖妻 | |
記述部分(略伝) | 當家は源融の裔なり其れより四代を經て授に至り肥前松浦に住し性を松浦と號す爾後八世を經て定に至る定武勇あり後醍醐帝の詔を奉じ北條高時を攻て軍功あり卒する後祀られて若宮明神といふそれより九世を經て鎭信に至り德川に仕へ肥前平戸の城主として六萬千七百石に封ぜらる爾來五世を經て曜に至り君其後を承く 君實は先々代守熈の三男にして天保十一年十一月十八日を以て江戸に生る後曜の養子となり其家を繼ぐ君夙に勤王の志を抱き戊辰の役各處に轉戰して功あり明治二年上局副議長兼制度寮副總裁となる爾後平戸藩知事少教正華族第四部長御歌會賛者等に歷任し又明宮祗候及勤務常宮御養育主任に任ぜられ貴族院議員に當選すること前後二回明治十七年七月伯爵を授けられ同三十二年六月從二位に叙せらる 家族は前記の外孫陞(明治十七年三月生)同晃子(同廿八年十月生)同紘子(同卅一年八月生)同和子(同三十四年三月生)同高子(同三十四年十月生)あり 男靖(慶應二年三月生)は子爵松浦美喜子の入夫となり現に其戸主たり同常(明治四年八月生)は伯爵大隈重信女熊子の婿養子となり同複(同六年十二月生)は子爵本多正憲女純子婿養子となり女正子(同九年六月生)は子爵松井廣義に妹益子(安政三年四月生)は伯爵園基祥男基資に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市淺草區向柳原町二ノ一 電話谷下八八九 | |
参照人物(親類) | 侯爵淺野長勳、伯爵大隈重信、子爵青山幸宜、子爵松浦靖、子爵本多政憲、子爵松井康義、男爵伊達邦成、伯爵園基祥 | |
参照次数 | 11 | |
読み | まつうら あきら | |
別名 |