大橋新太郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 | |
職業 | 貴族院議員、大橋本店(株)頭取、國定教科書共同販賣所、朝鮮興業、電氣化學工業、京城電氣各(株)社長、第一生命保險(互)取締役、東京電燈、王子製紙、帝國製麻、北越製紙、日本石油、日本鋼管、大日本電球、日本染料製造、東洋製鐵、滿洲興業、南滿鑛業、關東水力電氣、白木屋呉服店、足利紡績、日本書籍、南滿洲製糖、奉天製麻、三井信託、三共、日本郵船、近海郵船各(株)取締役、大日本麥酒、合同毛織、東京建物、東亞興業、東京火災保險、九州送電各(株)監査役、日本勸業銀行(株)參與理事、南滿洲鐵道(株)幹事、理化學硏究所理事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久三年七月 (1863) | |
親名・続柄 | 大橋佐平の長男 | |
家族 | 妻 すま 明一〇、四生、東京、中村孝吉妹 男 進一 明一八、七生 男 正雄 明三六、三生 男 武雄 明三七、三生 男 達雄 明三八、五生 | |
記述部分(略伝) | 君は越後長岡の人大橋佐平の長男にして同幹二の兄同光吉の養兄同省吾の伯父山本留次の從兄なり文久三年七月を以て生れ明治三十四年家督を相續す父佐平は立志傳中の人にして出版業に依りて博文館今日の基礎を成せり君曾て同人社に學び同十四年父と共に北越新聞の前身たる越佐每日新聞を發刋す同二十年六月博文館を創立して日に隆盛を來し今や出版界の覇王を以て稱せらる同三十四年亡父の遺志を繼ぎ巨資を投じて大橋圖書館を設立し社會に貢献するところ多し是れ本邦に於ける私立圖書館の嚆矢なり尚大橋育英會を起し多くの貸費生を養成しつゝ常に有爲の人材を世に出さんと努む同三十五年衆議院議員總選擧に際し最高點を以て東京市より當選す大正十年英米訪問實業團を組織し歐米各國を巡遊して歸朝し同十五年十二月勅選により貴族院議員となり又東京商業會議所特別議員に推さる現時前揭諸會社の重役を兼ね實業界の重鎭たり大正四年十一月特旨を以て從五位に叙せられ又日露事件に功ありて勳四等旭日小綬章を賜ふ曾て東京市會議員日本橋區會議員たりしことあり 家族は尚七女澄子(大五、一〇生)あり 三男勇吉(明三二、五生)は其妻綾子(同三四、二生、山梨、石原光三妹)を伴ひて分家し弟邦之介(同二六、二生)も又分家し三女文(同二八、二生)は東京府士族伊藤欣二に五女豐子(同三四、七生)は同府華族金子武麿に妹房(同三一、七生)は廣島縣人石原契行に嫁し弟善八郞(同三二、八生)は東京府人窪田惣八の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、弓町一ノ一六 電小石川七四六 | |
参照人物(親類) | 伊藤欣二、石原光三、大橋幹二、大橋省吾、大橋進一、大橋光吉、金子武麿、窪田惣八、中村孝吉、山本留次、※小林八右衞門、※坪谷善四郞 | |
参照次数 | 12 (※なし10) | |
読み | おおはし しんたろう | |
別名 |