毛利元昭 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 公爵、麝香間祗候、舊山口藩 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年二月 (1865) | |
親名・続柄 | 毛利元德の長男 | |
家族 | 妻 美佐子 明七、五生、公爵三條公輝姉 男 元道 明三六、六生、正五位、陸軍砲兵少尉 | |
記述部分(略伝) | 當家は天穗日命より出づ命二十七世の裔本主宿禰大枝と稱し其子參議音人に至り大江と改む其八世の孫匡房三朝に歷仕し其名最も顯る後四世廣元に至り源賴朝を佐けて天下を定め其子季光相州毛利の庄を領し初めて毛利と稱す其孫時親安藝國吉田に徙り十二世を經て元就に至る元就近國の諸豪族を征伏し陶晴賢を誅し尼子氏を亡し山陰山陽十餘州を平定す時に皇室式微正親町天皇卽位の大禮を行はせられ難きを聞き慨歎して其料を獻ず天皇嘉賞永祿三年大禮を擧げさせられ元就を陸奧守に任じ菊桐の章を賜ふ嫡孫中納言輝元豐臣氏と和し九州朝鮮の役に出征し大に功あり百二十萬石の大封を擁し五大老の班に列す關ケ原の役西軍の主帥たりしを以て役後防長二州三十六萬石に削封せらる其十四世の裔を敬親とす敬親累世の志を繼ぎ其子元德と共に大に勤王の大義を主唱し明治戊辰の役諸所に出征す其間幾多の艱難に遭遇せしも百折不撓遂に王政復古の大業を翼賛し薨去後正一位を追贈せらる元德は明治十七年公爵を授けられ從一位勳一等に敍す 君は其長男にして男爵小早川四郞の兄子爵大村泰敏男爵毛利元良の伯父なり慶應元年二月を以て生れ幼名を興丸と云ひ明治十三年今の名に改め同三十年家督を相續し襲爵仰付けられ貴族院議員と爲る同四十四年麝香間祗候仰付らる 長女顯子(明三一、一一生)は侯爵醍醐忠重に二女茂登子(同三三、一生)は子爵愛宕通經に庶子濱子(同三九、四生、生母、山口、士、河北ツヤ)は子爵戸田忠肅に嫁し二男元治(同四〇、六生)は男爵小早川四郞に弟八郞(同一四、四生)は公爵西園寺公望に各養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、高輪南町二七 電高輪一二二九 | |
参照人物(親類) | 公爵三條公輝、侯爵醍醐忠重、子爵大村泰敏、子爵愛宕通經、子爵戸田忠肅、男爵小早川四郞、男爵毛利元良、西園寺八郞、※公爵島津忠承、※伯爵大谷光暢、※子爵河鰭實英、※子爵仙石政敬、※子爵永井直邦、※子爵藪篤麿、※松永安衞 | |
参照次数 | 15 (※なし8) | |
読み | もうり もとあきら | |
別名 | 興丸 |