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毛利元昭 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從二位、勳三等
爵位・身分・家柄公爵、麝香間祗候、舊山口藩
職業貴族院議員
性別男性
生年月日慶應元年二月七日 (1865)
親名・続柄 毛利元德の長男
家族母 安子 天保一四、三生、子爵毛利元雄叔母
妻 美佐子 明七、五生、公爵三條實憲伯母
男 元道 明三六、六生
女 顯子 明三一、一一生
女 茂登子 明三三、一生
記述部分(略伝)當家は參議左大辨大江音人十世の孫正四位下大江廣元十二世の裔治部少輔弘元の子陸奥守元就の後なり元就大永中石見の青屋出羽守の城を陷れ續いて尼子浮田と戰ひ遂に中國十一州を平定す弘治三年正親町天皇即位し給ひしかど五畿七道大に亂れ即位の禮を行はせらるへき樣なかりしを傳へ聞きて元就慨歎し其料を調進して永祿三年即位の禮を行はせられ其勸賞として翌年陸奥守に任せられ菊桐の章を賜ふ將軍足利義輝之を聞き大に感じ錦の鎧直衣を賜ひ鎭西の守護職に補せらる其孫輝元繼ぎ秀吉天下平定の後參議となり九州の役朝鮮征伐に軍功ありしが後其封を削られて防長二洲の大守となるそれより十四世の孫元德に至り文久元年左近衞權少將に叙し同二年朝命を奉し上京して輦下を鎭め公武の間を周旋したる功を賞せられ御衣を賜ふ明治元年議定に任し賞典祿十萬石を賜はり廢藩置縣に及んて山口藩知事となり同十七年公爵を授けられ從一位勳一等に叙せらる
君は其長男にして男爵小早川四郞男爵毛利五郞は其令弟なり慶應元年二月七日を以て生る幼名を興丸といひ明治十三年今の名に改め同三十年一月家督を嗣き襲爵仰付らる現時貴族院議員たり四十四年一月麝香間祗候仰付らる
家族は前記の外二男元治(明四〇、六生)女濱子(同三八、四生)あり
弟德敏は子爵大村家を嗣き同八郞(同一四、四生)は侯爵西園寺公望の養子となれり
住所・電話番号東京、芝、高輪南町二七 電話芝九五七
山口、佐波、防府町大字三田尻町
参照人物(親類)公爵三條實憲、侯爵西園寺公望、子爵毛利元雄、子爵大村德敏、男爵毛利五郞、男爵小早川四郞、※閑院宮家、※子爵藪篤麿、※子爵山尾庸三、※男爵三條公輝、※大谷光演
参照次数12 (※なし7)
読みもうり もとあきら
別名興丸
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