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伊藤由太郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級勳四等
爵位・身分・家柄愛知縣在籍
職業愛知縣多額税納者、大正海運、三河水力電氣各(株)取締役、東陽倉庫、福壽火災保險、福壽生命保險、四日市倉庫各(株)監査役、農業
性別男性
生年月日明治五年四月 (1872)
親名・続柄 伊藤忠左衞門の長男
家族妻 ちやう 明七、三生、愛知、岡谷惣助姉
男 利彦 明三二、五生、慶應義塾大學經濟學部出身、日本貯蓄銀行員
婦 房子 明三八、九生、二男利彦妻、京都、福田市十郞三女
男 進 明三七、四生、名古屋製陶所員
記述部分(略伝)伊藤家は名古屋土着の地主にして始祖より既に二十七代を閲せる舊家なり代々里正の役を勤め苗字帶刀を許され子孫連綿として今日に及ぶ
君は先代忠左衞門の長男にして明治五年四月を以て生れ同二十四年家督を相續す祖業を繼承する傍ら前記各會社の重役を兼ね現に愛知縣多額納税者たり曩に貴族院議員に互選せられ又名古屋商業會議所議員に明治三十二年より大正七年迄市會議員市參事會員市會副議長等に擧げらる大正三四年事件の功に依り勳四等に叙し瑞寳章を賜はる歌道に趣味を有し吟詠を娯しむ
家族は尚五女待子(大五、九生)孫綱子(同一五、四生、二男利彦長女)あり
長女稻子(明三三、九生)は大阪府人瀧義郞に二女博子(同三六、二生、愛知縣立高等女學校出身)は兵庫縣人生島五三郞長男大阪地方裁判所檢事敏治に三女和子(同三八、七生、椙山高等女學校出身)は愛知縣人高松靜男に嫁し三男邦彦(同三五、一生)は叔母淺野三始の死跡を相續せり
住所・電話番号名古屋、西、大舟町一ノ八 電西三三九
参照人物(親類)生島五三郞岡谷惣助瀧義郞、※伊藤次郞左衞門、※岡谷喜三郞、※北川宗三郞、※西村齊次郞、※西村治兵衞
参照次数8 (※なし3)
読みいとう よしたろう
別名
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