常磐井堯猷 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、僧家 | |
職業 | 文學博士、眞宗高田派管長、京都帝國大學文學部講師 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治五年三月 (1872) | |
親名・続柄 | 近衞忠房の二男 | |
家族 | 男 隆麿 明三八、一一生、從五位 女 教子 明三七、六生、京都第一高女出身 | |
記述部分(略伝) | 當家は視鸞上人の弟子眞佛の系なり代々下野國高田專修寺の住職として第十世眞慧に至る眞慧寺基を伊勢國一身田に遷し專修念佛を紹隆し定規を制す之を中興の祖となす先代第二十一世堯凞は從一位近衞忠凞の七男にして入つて當家を繼ぐ明治五年華族に列し家號を常磐井と稱し同十七年高田派管長に任ぜられ同二十九年男爵を授けらる君其後を享く 君實は近衞忠房の二男にして公爵近衞文麿子爵近衞秀麿男爵水谷川忠麿の叔父に當り明治五年三月を以て生れ同十八年堯凞の養子となり大正八年家督を相續し襲爵仰付けらる明治十九年獨英に留學しストラスブルヒ大學に入り梵文學を硏究し同三十二年歸朝す大正二年眞宗高田派管長となり同九年文學博士の學位を受く本邦に於ける梵文學の權威にして現に京都帝國大學文學部講師たり 家族は尚庶子禮子(大一二、三生、生母、三重、金丸まき)同祗子(同一五、八生、生母同上)あり | |
住所・電話番号 | 三重、河藝、一身田町 | |
参照人物(親類) | 公爵近衞文麿、子爵近衞秀麿、男爵水谷川忠麿、※公爵大山柏、※公爵德川家達 | |
参照次数 | 5 (※なし3) | |
読み | ときわい ぎょうゆう | |
別名 |