東鄕平八郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位、大勳位、功一級 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、東京府華族 | |
職業 | 元帥、海軍大將、議定官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化四年十二月 (1848) | |
親名・続柄 | 東鄕吉左衞門の三男 | |
家族 | 妻 テツ 文久元、九生、子爵海江田幸吉姉 男 彪 明一八、二生、從四位、式部官兼主獵官 婦 百合 明三二、七生、長男彪妻、男爵小原駩吉長女、學習院女學部出身 男 實 明二三、九生、從六位勳六等、海軍少佐 婦 八重 明三五、八生、二男實妻、鹿兒島、赤崎戸八郞長女 | |
記述部分(略伝) | 君は鹿兒島藩士東鄕吉左衞門の三男にして弘化四年十二月を以て生れ慶應三年分家して一家を創立す少時藩選を以て航海操艦術を學び戊辰の役北越奧羽に轉戰して功あり明治四年英國に留學して專ら海事を硏修す歸朝後海軍中尉に任じ累進して海軍大佐に陞り日清の役浪華艦長として第一遊擊艦隊の先鋒となり偉功を奏す戰役中海軍少將に進み平和克復後功を以て功四級金鵄勳章を賜ふ尋で海軍中將に昇り常備艦隊舞鶴鎭守府各司令長官に歷任す日露の役選ばれて聯合艦隊司令長官となり露國の東洋艦隊を全滅し更に露國第二第三派遣艦隊を日本海に邀擊して之を擊滅し曠古の大捷を博し戰役中海軍大將に昇任す明治四十年偉勳を以て大勳位功一級に敍し特旨を以て華族に列し一躍伯爵を授けられ次で元帥府に列す後海軍軍令部長軍事參議官に歷任し又東宮御學問所總裁仰付けらる現時議定官たり大正十五年十一月多年の功勞に依り菊花章頸飾を賜ふ 家族は尚孫良子(大六、七生、長男彪長女)同一雄(同八、九生、同長男)同百合(同一四、一二生、同二女)同良一(同一〇、二生、二男實長男)同久子(同一三、一一生、同長女)同忠二(同一五、七生、同二男)あり 二女八千代(明二四、一〇生)は男爵園田實に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、上六番町三七 電九段三七五 | |
参照人物(親類) | 子爵海江田幸吉、男爵小原駩吉、男爵園田實、※男爵柴山昌生、※東鄕吉太郞、※中橋武一、※福井菊三郞、※堀越善重郞 | |
参照次数 | 8 (※なし4) | |
読み | とうごう へいはちろう | |
別名 |