柴山昌生 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 男爵、東京府華族 | |
職業 | 海軍中佐、海軍砲術學校教官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十七年八月 (1884) | |
親名・続柄 | 柴山矢八の二男 | |
家族 | 妻 むめ子 明二七、四生、東京、士、園田清彦妹、學習院女學部出身 男 昌道 大四、六生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代矢八より家名を揚ぐ矢八は舊鹿兒島藩士にして元帥東鄕平八郞の從弟に當る夙に米國に留學し明治七年海軍中尉に任じ海軍大將に累進す其間水雷局長參謀本部海軍部第二局長橫須賀鎭守府參謀長海門高千穗各艦長海軍兵學校長常備艦隊司令長官海軍大學校長呉佐世保旅順各鎭守府司令長官等に歷補し日清戰役の功に依り功三級日露戰役の功に依り功二級を賜ひ同四十年華族に列し男爵を授けらる 君は其二男にして明治十七年八月を以て生れ大正十三年襲爵す夙に海軍兵學校を卒業し明治四十一年海軍少尉に任じ現時海軍中佐にして海軍砲術學校教官たり 家族は尚長女百合子(大七、六生)三男道隆(同一五、六生)あり 二女綾子(同一一、四生)は鹿兒島縣士族小倉周智の家を繼ぎ姉初榮(明一〇、七生)は土方家に嫁し弟讓二(同一九、七生、法學士)は鹿兒島縣士族本田親英の死跡を相續せり | |
住所・電話番号 | 神奈川、鎌倉、鎌倉町大町一一二二 電六〇六 | |
参照人物(親類) | 伯爵東鄕平八郞、園田清彦 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | しばやま まさお | |
別名 |