櫻井忠胤 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊攝州尼崎藩 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十四年七月 (1881) | |
親名・続柄 | 櫻井忠興の三男 | |
家族 | 妻 鷹子 明二一、三生、子爵本多忠昭姉、學習院女學部出身 男 忠養 大五、一一生 女 美知子 明四二、一生、女子學習院出身 女 加壽子 明四三、一二生、女子學習院出身 女 幾代子 大二、一生 | |
記述部分(略伝) | 當家は德川家康四代の祖松平出雲守長親の三男内膳正信定の後なり信定三州櫻井の城主となり櫻井の松平と稱すそれより六代左馬頭忠賴家康に仕へ遠州濱松五萬石の城主となりしも慶長十四年江戸の棋席に於て剌殺せられ其子幼なるを以て所領を沒收せられ更に其嫡子大膳太夫忠重に封邑を賜ひ寬永十二年同國掛川四萬石に累進ず後八代を經て攝州尼崎四萬石の城主として先代忠興に至り維新後姓を櫻井と改め明治十七年子爵を授けらる 君は其三男にして明治十四年七月を以て生れ前名を善之助と稱し同二十八年家督を相續し襲爵仰付けらる學習院中等科出身にして博物學を好み標本の蒐集を以て樂となす 家族は尚六女博子(大八、一生)七女瑳紀子(同一一、一二生)あり 長女章子(明四〇、二生、女子學習院出身)は子爵南部利克嗣子信克に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市外目黑町上目黑五〇四 電青山六五三 | |
参照人物(親類) | 子爵南部利克、子爵本多忠昭、※子爵本多涉、※井上正詮、※本多敏樹 | |
参照次数 | 5 (※なし2) | |
読み | さくらい ただたね | |
別名 | 善之助 |