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櫻井忠胤 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從四位
爵位・身分・家柄子爵、舊攝州尼ケ崎城主
職業
性別男性
生年月日明治十四年七月十九日 (1881)
親名・続柄 櫻井忠興の三男
家族母 きん 嘉▲三、五生、伯爵小笠原長幹伯母
妻 鷹子 明二一、三生、子爵本多忠敬二女
記述部分(略伝)當家は清和天皇の皇孫鎭守府將軍源經基七代▲炊助新田義重の裔松平左京亮親忠の二男德川出雲守長親の後なり其子内膳正信定三州櫻井の城主となり依て姓を櫻井の松平と稱す五代を經て左馬頭忠朝に至る忠朝德川氏に任へ遠州濱松五萬石の城主となる慶長十▲年江戸に於て刺客の爲めに暗殺せられ其子幼なるを以て所領を沒取せられ更に其嫡子大膳太夫忠重に封邑を賜ひ寬永十二年遠州掛川四萬石の城主となる夫れより八代を經攝州尼ケ崎四萬石の城主として從四位子爵忠興に至る維新後姓を櫻井と改稱す
君は其三男にして明治十四年七月十九日を以て生る前名を善之助と稱す同二十八年六月家督を相續し襲爵仰付らる
家族は前記の外長女章子(明四〇、二生)二女美知子(同四二、一生)三女加壽子(同四三、一二生)四女幾代子(大二、一生)あり
住所・電話番号兵庫、武庫、大社村
参照人物(親類)伯爵小笠原長幹、子爵本多忠敬、※子爵本多渉、※井上正詮、※佐藤光興
参照次数5 (※なし2)
読みさくらい ただたね
別名善之助
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