小山秋作 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位、勳四等、功四級 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 豫備陸軍步兵大佐、旭電球株式會社取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久二年六月一日 (1862) | |
親名・続柄 | 小山良運の三男 | |
家族 | 兄 正太郞 安政四、一生、現戸主 妻 ミツヱ 明八、一二生、貴族院議員兒玉淳一郞長女、母正五位勳四等加賀美繁子 | |
記述部分(略伝) | 君は舊長岡藩士小山良運の三男にして小山吉郞は其兄なり文久二年六月一日越後國長岡に生る明治二十年陸軍士官學校を卒業し參謀本部に出仕し在職數十年に亘る常に東亞問題に盡瘁し日清貿易研究所東亞同文會振武學校等の創立經營に力を效す日露の戰役起るに及びて大本營に入り更に滿洲軍總司令部に轉じて帷幄に參劃し奉天の占領後同府の軍政を司る後陸軍々制改革に侃諤の説を立てしも其容れられざるを見るや主義に殉して自ら請ふて豫備役に轉ず爾來幾星霜專ら南洋の經營に努力せり南洋起業株式會社の設立さるゝに當り其取締役に擧げられ現時旭電球株式會社取締役たり 家族は尚長女喜勢子(明三五、三生)二女佐和子(同三七、五生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、三田町一ノ二五 | |
参照人物(親類) | 小山正太郞、兒玉淳一郞、加賀美繁子、小山吉郞、※臼井宏 | |
参照次数 | 5 (※なし4) | |
読み | こやま しゅうさく | |
別名 |