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加賀美繁子 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正五位、勳四等
爵位・身分・家柄東京府平民
職業宮内省御用掛、竹田宮御用取扱
性別女性
生年月日安政五年三月三日 (1858)
親名・続柄 佐々木高行の二女
家族
記述部分(略伝)刀自は侯爵佐々木高行の二女にして侯爵佐々木行忠の叔母なり安政五年三月三日土佐國高知に生れ明治四十年四月亡夫光賢の後を享け家督を相續す幼時母に從ひて上京し竹橋女學校に遊び傍ら米國人「フルベツキ」に就きて英學を修む後貴族院議員兒玉淳一郞に嫁せしも故ありて離婚し前名靜衞を靜子と改む時偶久宮靜子内親王殿下の御隆誕に遭ひ憚りて更に繁子と改名す明治十七年時の宮中顧問官海軍軍醫總監正四位勳三等加賀美光賢に再嫁す同二十二年常宮昌子内親王殿下御養育の任に當り翌二十三年更に周宮房子内親王殿下御養育掛仰付らる同四十年改めて常宮周宮御用掛被仰付奏任の待遇を賜ふ同四十一年四月功に依り勳四等寳冠章を賜ひ宮内省御用掛竹田宮御用取扱仰付られ大正二年一月正五位に叙せらる宮中に於ける功勞煌として沒すべからず
女喜久(明五、一〇生)は海軍軍醫總監臼井宏に同光衞(同八、一二生)は豫備陸軍步兵大佐にして現時南洋殖林家たる小山秋作に嫁し男敬之助(同十二年生)は工學士三橋四郞の養子となり同孝顯(同一二、六生)は先夫兒玉淳一郞の長男にして現時德島縣警察部長たり弟佐々木高志は故侯爵佐々木高行の二男にして豫備海軍中佐たり
住所・電話番号東京、芝、三田一ノ三五 電話芝五〇二
参照人物(親類)侯爵佐々木行忠小山秋作兒玉淳一郞臼井宏、兒玉孝顯
参照次数5 (※なし5)
読みかがみ しげこ
別名靜衞
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