藤田平太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、大阪府華族 | |
職業 | 合名會社藤田組社長、恩賜財團濟生會評議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二年十月七日 (1869) | |
親名・続柄 | 藤田傳三郞の長男 | |
家族 | 母 キタ 安政二、九生、京都、平、木邑平兵衞三女 妻 トミ 明一五、五生、伯爵芳川顯正三女學習院女學部出身 弟 德次郞 明一三、一二生 弟 彦三郞 明一五、一二生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先考藤田傳三郞より顯はる傳三郞は長州萩の人夙に勤王の志あり幕末の際尊王攘夷の大義を唱へ正義黨に入りて國事に奔走す而かも徒らに名利權勢に趨るの念なく寧ろ實業に從事して眞に國勢の伸張する所以なるを看取し身を實業界に投し初め製靴業を營み明治六年藤田組を組織し各種の業務に從事し遂に一代にして巨萬の富を積む又公共事業に盡瘁すること多し明治四十四年八月特に華族に列し男爵を授けらる 君は其嫡男にして明治二年十月七日を以て生る初め慶應義塾に學ひ次て英國に遊學し傍ら鑛業を見學す歸朝後藤田組副社長となり傍ら大阪商船會社日本火災保險會社北濱銀行日韓瓦斯會社の重役となり實業界に貢献す明治四十五年三月乃父の後を亨け襲爵仰付らる現時藤田組社長たる外諸種の公私事業に盡し關西實業界の重鎭たり 養姉ゑつ(明元、八生、大阪、平、田中市藏叔母)は石川縣平民中橋德五郞に嫁し久原房之助は君の從弟なり | |
住所・電話番号 | 大阪、北、網島町四〇 電話東四四八 | |
参照人物(親類) | 伯爵芳川顯正、藤田德次郞、藤田彦三郞、久原房之助、中橋德五郞、田中市藏 | |
参照次数 | 7 (※なし7) | |
読み | ふじた へいたろう | |
別名 |