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芳川顯正 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正二位、勳一等
爵位・身分・家柄伯爵、舊德島藩士
職業樞密院副議長
性別男性
生年月日天保十二年十二月十日 (1842)
親名・続柄 芳川民部の四男
家族妻 サダ 安政三、二生、東京、士、川井久宣姉
養子 寬治 明一五、五生、四女鎌夫、子爵曾禰安輔弟、從五位、日韓瓦斯株式會社支配人兼瓦斯電燈課長
女 鎌 明二四、一〇生、養子寬治妻
女 シン 明一一、五生
女 セイ 明一四、五生
記述部分(略伝)當家は祖父の代より醫師として知らる祖父を原田省博と云ふ其子民部亦父の業を繼く
君は其第四子にして天保十二年十二月十日を以て生る夙に有爲の才を抱きて天下の志士と交を結ふ後伊藤參議と共に米國に遊ひ文物制度を視察して大に得る處あり明治四年紙幣頭に任し爾來外務工務内務の各少輔東京府知事内務大輔同次官文部大臣宮中顧問官兼内藏頭帝室會計審査局長司法大臣内務大臣遞信大臣等に歷任し勳功を以て子爵を授けられ特に大臣禮遇を賜ふ後貴族院議員となり日露事件の功により伯爵に陞さる方今樞密院副議長の要職に在り四十三年四月皇典講究所長國學院大學長となりしも後ち之を罷む
家族は前記の外孫明子(大二、三生、養子寬治長女)あり
三女トミ(明一五、五生)は男爵藤田平太郞に嫁せり
住所・電話番号東京、麻布、宮村町六七 電話芝六四
参照人物(親類)子爵曾禰安輔、男爵藤田平太郞
参照次数2 (※なし2)
読みよしかわ あきまさ
別名
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