中橋德五郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 石川縣平民 | |
職業 | 大阪商船株式會社、宇治川電氣株式會社各社長、日本窒素肥料株式會社會長、日清汽船株式會社取締役、南滿洲鐵道株式會社監事、日本火山灰株式會社、大阪俱樂部株式會社各監査役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 元治元年九月十日 (1864) | |
親名・続柄 | 齋藤宗一の五男 | |
家族 | 妻 ゑつ 明治元、八生、男爵藤田平太郞養姉 男 武一 明二四、三生 女 縫子 明二八、六生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊金澤藩士齋藤宗一の五男にして元治元年九月十日を以て生れ明治十七年中橋家の養嗣子となり同二十年家督を相續す夙に金澤專門學校文學部を卒業し同十五年東京大學法學部に入り商法を硏究す幾くもなく判事試補となり爾來特許局審判官農商務省參事官法制局參事官衆議院書記官遞信省參事官同書記官に歷任し財務課長文書課長調度課長となり三十年遞信省管船局長に翌年鐵道局長に任せられ其年七月官を辭して大阪商船株式會社に入り其社長となり今日に至る現時尚前揭諸會社の重役を兼ぬ先是帝國議會制度取調局出仕として歐米に航し尚清國に於ける帝國郵政を視察せり明治四十五年大阪市より選はれて衆議院議員となりしも故ありて之を辭せり 家族は前記の外二男謹二(明三四、三生)四女重子(同四二、七生)あり 二女千代子(同三〇、一二生)は東京府平民本澤こまに庶子女知惠(同三四、六生、生母、安田さた)は茨城縣人安達朔壽に各養子となれり | |
住所・電話番号 | 大阪、南、天王寺悲田院町三八四七 電話南六六 | |
参照人物(親類) | 男爵藤田平太郞 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | なかはし とくごろう | |
別名 |