久原房之助 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 大阪府平民 | |
職業 | 久原鑛業株式會社々長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二年六月四日 (1869) | |
親名・続柄 | 久原庄三郞の三男 | |
家族 | 母 フミ 天保一四、九生、山口、平、田村金右衛門長女 妻 キヨ 明一六、四生、山口、士、鮎川義介妹 男 光夫 明三八、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は山口縣人亡久原庄三郞の三男にして男爵藤田平太郞の從兄なり明治二年六月四日を以て生れ同三十八年三月家督を相續す父庄三郞は故男爵藤田傳三郞の實兄にして亡藤田鹿太郞の弟なり明治六年大阪に出て弟傳三郞の事業を助く同十四年長兄鹿太郞等と共に藤田組を組織し今日の盛況を見るに至れり先是君は東都に出て慶應義塾に學ひ明治二十二年業を卒へ直ちに森村組に入りしも幾何もなく之を辭し藤田組に入り精勵其經營の任に當り盡瘁する所ありしか同三十八年十二月藤田組と分離し爾來獨力鑛業に從事し大正元年從來の事業組織を變更して久原鑛業株式會社を創設し君其社長に推され現に其任にあり 家族は前記の外長女泰子(明四三、五生)二男大亮(同四五、二生)あり 兄幾太(安政六、六生)は大阪府平民齋藤ツネの入夫となれり | |
住所・電話番号 | 大阪、北、中ノ島二ノ丙一三 電話長東二三八 | |
参照人物(親類) | 男爵藤田平太郞、鮎川義介、齋藤幾太、※貝島太市、※木村久壽彌太 | |
参照次数 | 5 (※なし3) | |
読み | くはら ふさのすけ | |
別名 |