今村繁三 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 合資會社今村銀行頭取、汽車製造株式會社取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十年一月二十三日 (1877) | |
親名・続柄 | 今村清之助の二男 | |
家族 | 母 ヤス 嘉永四、九生、神奈川縣人齋藤彦兵衞二女 妻 とし 明一八、一二生、男爵新田忠純長女 男 精一 明四二、八生 弟 信吉 明一七、八生 弟妻 歳子 明二五、三生、弟信吉妻、東京、平、堀越善重郞二女 | |
記述部分(略伝) | 君は東京府平民今村清之助の二男にして明治十年一月二十三日を以て生れ同三十五年九月家督を相續す先是同二十四年東京英語學校に遊び後ち高等師範學校附屬中學校に入り同二十九年同校卒業直ちに英國に航しケンブリツチリーススクールに入りしが同三十二年ケンブリツチ大學トリニチーコレーヂに轉學同三十五年バチラルオブアーツの學位を受け歸朝後實業界に入り現に前記銀行會社の重役として知らる 家族は前記の外長女香代(明三七、一二生)二女厚子(同三九、五生)三女重子(同四〇、九生)四女靜子(同四四、三生)五女登世(大二、四生)あり 姉ふみ(明八、二生)は東京府平民串田萬藏に妹テル(同一二、六生)は外務次官松井慶四郞に嫁し弟周(同一二、四生)は東京府平民井上保次郞の養子となり其家督を相續し同英祐(同一三、一一生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、田町八ノ一 電話芝一二〇八 | |
参照人物(親類) | 男爵新田忠純、串田萬藏、松井慶四郞、堀越善重郞、井上周、今村英祐、※公爵桂廣太郞、※子爵松平慶民 | |
参照次数 | 9 (※なし7) | |
読み | いまむら しげぞう | |
別名 |