桂廣太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 公爵、東京府華族 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治四十一年一月十七日 (1908) | |
親名・続柄 | 桂與一の長男 | |
家族 | 祖母 かな 明八、二生、侯爵井上馨養子 母 て〓 明二〇、九生、男爵新田忠純二女 伯母 てう 明一二、五生 叔父 五郞 明二八、二生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代太郞より顯はる太郞維新の交奥羽鎭撫總督參謀として帷幕に參劃し後獨逸に航し在留數年にして歸朝し陸軍大尉に任せらる爾來太政官少書記官參謀本部管西局長太政官大書記官陸軍省總務局長陸軍次官臺灣總督陸軍大臣内閣總理大臣兼大藏大臣兼拓殖局總裁等に歷任して從一位大勳位功一級に叙せらる先是獨逸公使館附武官の際獨墺の兵制を調査し後又大山陸軍卿に随ふて歐洲の兵備を調査す日清の役第三師團長として偉功を樹て特旨を以て華族に列し一躍子爵を授けられ三十四年日英同盟を締結して伯爵に陞り尋て侯爵に進み韓國併合の功に依り公爵に陞さる我國の元老たり大正二年侍從長を退き三度内閣を組織し立憲同志會を樹立するや終に輿論の反する所となりて掛冠す爾來同會を提けて政界に馳駢せんとせしが大正二年十月偶病を得て薨す 君は其孫にして亡與一の長男なり明治四十一年一月十七日を以て生れ大正二年十一月家督を相續し襲爵仰付らる 家族は前記の外弟壽雄(明四二、一生)妹友子(同四三、一〇生)叔父新七(同三二、八生)あり 叔母キヨコ(同二一、六生)は埼玉縣平民長島隆二嫁し叔父三郞(同二〇、二生)は侯爵井上馨嗣子勝之助の養子となり大叔父二郞(安政三、一二生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、三田一ノ四六 電話芝三四、三五 | |
参照人物(親類) | 侯爵井上馨、男爵新田忠純、桂二郞、井上勝之助、長島隆二、※今村繁三 | |
参照次数 | 7 (※なし6) | |
読み | かつら こうたろう | |
別名 |