久須美秀三郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 新潟縣平民 | |
職業 | 越後鐵道株式會社長、日本石油株式會社、株式會社長岡銀行各取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永三年三月十五日 (1850) | |
親名・続柄 | 久須美毅堂の長男 | |
家族 | 妻 ケイ 安政二、九生、新潟、平、澁谷權之助四女 男 東馬 明一〇、一一生、早稻田大學出身、越後鐵道株式會社常務取締役、株式會社寺泊銀行監査役 婦 鉐子 明二〇、八生、長男東馬妻、伯爵酒井忠篤養從妹 | |
記述部分(略伝) | 君は新潟縣平民久須美毅堂の長男にして嘉永三年三月十五日を以て生れ明治九年一月亡叔父三郞の後を受け家督を相續す夙に小學校に教鞭を執り後擧けられて副大區長戸長縣會議員衆議院議員等に擧けらる曾て北越鐵道株式會社の創立及經營に參畫する所尠ならす方今前記會社の重役として知らる又君か長たる越佐新聞は地方新聞界の魁たり 二女キミ(明一二、一〇生)は福井縣人大館源太郞に三女レン(同一五、九生)は東京府人山田昌邦長男進に四女トミ(同一七、四生)は同府人長鄕泰輔二男有泰に從妹クラ(同八、六生、亡叔父三郞五女)は新潟縣平民片桐太三郞長男秀治に同フミ(慶應三、七生、同四女)は同縣平民武田現順に嫁し同甲子次郞(元治元、一〇生、同長男)は其妻子と共に分家し五女セキ(明一九、二生)は新潟縣人久須美功の養子となり二男賢介(同二〇、五生)は同縣人本間彌平治の相續人となれり | |
住所・電話番号 | 新潟、三島、島田村 東京、北豐島、高田村大字高田三二七 電話番町一五六一 | |
参照人物(親類) | 伯爵酒井忠篤、山田昌邦、※子爵稻葉順通、※安田善之助、※西脇濟三郞 | |
参照次数 | 5 (※なし2) | |
読み | くすみ ひでざぶろう | |
別名 |