山田昌邦 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 東京製綱株式會社專務取締役、亞細亞護謨株式會社取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永元年五月一日 (1848) | |
親名・続柄 | 山田忠五郞の三男 | |
家族 | 妻 しう 安政元、六生、東京、士、岡田利兵衞長女 男 進 明一一、七生 婦 レン 明一五、九生、長男進妻、新潟、平、久須美秀三郞三女 男 武 明一五、一生 婦 千代子 明二二、一二生、二男武妻、群馬、士、鹽谷恒太郞長女 男 眞 明一七、四生 婦 政子 明二五、四生、三男眞妻、東京、平、牧原仁兵衞長女 男 清 明二二、一〇生 嫂 なか 天保五、一生、亡兄保妻、青森、士、石川喜兵衞長女 | |
記述部分(略伝) | 君は東京府士族山田忠五郞の三男にして嘉永元年五月一日を以て生れ明治三年十二月亡兄保の後を相續す君甞て幕府の海軍士官たり戊辰の役北海に敗れて官軍に降り幽囚の身となる後赦されて沼津兵學校教員となり爾來民部省兵部省開拓使に出仕し或は大學海軍兵學校札幌農學校等に教鞭を執る事多年職を辭して後專ら實業に身を委ね現に亞細亞護謨株式會社取締役及東京製綱株式會社專務取締役たり 家族は前記の外孫功(明三九、五生、長男進長男)同昌義(同四二、二生、同二男)同知惠子(大元、一二生、同長女)同博(明四一、六生、二男武長男)あり 同隆(同四三、五生、同二男)同正二(大二、一〇生、三男眞長男)あり長女みつ(明八、一生)は東京府人小杉雅三長男辰三に二女てる(同一八、八生)は同府人植原悦二郞に三女君(同二五、七生)は同府士族宮部久長男修に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、青山南町三ノ五一 電話芝四〇八 | |
参照人物(親類) | 鹽谷恒太郞、久須美秀三郞、宮部久、牧原仁兵衞 | |
参照次数 | 4 (※なし4) | |
読み | やまだ まさくに | |
別名 |