久須美秀三郞 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 新潟縣平民 | |
職業 | 衆議院議員(新潟縣選出)、北越鐵道株式會社監査役、日本石油株式會社取締役、株式會社與板銀行監査役、株式會社寺泊銀行監査役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永三年三月十五日 (1850) | |
親名・続柄 | 久須美毅堂の長男 | |
家族 | 妻 けい 安政二年九月生新潟縣平民澁谷權之助四女 男 東馬 明治十年十一月生 女 きみ 明治十三年十月生 同 れん 明治十五年九月生 同 とみ 明治十七年四月生 養叔母 やす 天保十年十二月生新潟縣平民旭圓智三女 | |
記述部分(略伝) | 君は新潟縣平民久須美毅堂の長男にして嘉永三年三月十五日の出生なり幼少の頃漢學及數學等を修め學成りて小學校訓導として教鞭を取ること久しく後擧げられて副大區長及戸長となる縣會の創立せらるゝや選ばれて之れが議員となり又郡名譽職參事會員となる君又實業界に於て爲す處多く北越鐵道株式會社監査役日本石油株式會社取締役株式會社與板銀行監査役株式會社寺泊銀行監査役等として現に其職に在り越佐新聞社々長及長岡日進社評議員會長たり明治三十五年の總選擧に當り同縣實業團體の推す處となり衆議院議員となる 女せき(明治十九年二月生)は同縣平民久須美功の養女に從弟甲子次郞(元治元年十月生)は分家し同五二郞(同五年三月生)は東京府平民今井文吉養子に男賢介(同二十年五月生)は同縣平民本間彌平治養嗣子となれり | |
住所・電話番号 | 新潟縣三島郡島田村大字小島谷一 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | くすみ ひでざぶろう | |
別名 |