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内田康哉 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正三位、勳一等
爵位・身分・家柄子爵、舊肥後八代藩士
職業
性別男性
生年月日慶應元年八月十日 (1865)
親名・続柄 内田玄眞の長男
家族母 ミカ 天保五、一一生、熊本、士、黑田五左衛門長女
妻 政 明四、一二生、奈良縣人土倉庄三郞二女
記述部分(略伝)君は舊肥後八代藩士内田玄眞の長男にして慶應元年八月十日を以て生れ明治十八年六月家督を相續す明治二十年法科大學を卒業して法學士となり直に交際官試補を拜命ワシントンに在勤同二十三年農商務大臣祕書官に任し同二十五年外務書記官に轉し外交官となり爾來公使館二等書記官同一等書記官辨理公使通商局長商務局長等に歷任し同三十二年特命全權公使に親任せられ政務局長を兼ぬ同三十三年外務總務長官に任し三十四年特命全權公使に任せられ清國駐劄を命せらる日露戰役後大使に進み墺國に駐劄し尚公使として瑞西を兼轄し尋て米國に轉任し後ち西園寺内閣に列し外務大臣に親任せらる日露事件の勳功により男爵を授けられ條約改正の功により子爵に陞爵せらる
弟晋次郞(明三、五生は分家し妹シツ(慶應三、九生)は熊本縣士族奈須義質)同ノブ(明七、四生)は愛知縣人鈴木裕三に嫁せり
住所・電話番号東京、豐多摩、大久保町西大久保三五〇 電話番町二〇三五
参照人物(親類)土倉庄三郞、※川本恂藏、※佐伯理一郞、※青木鐵太郞、※原六郞
参照次数5 (※なし1)
読みうちだ こうさい
別名
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