内田康哉 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、熊本縣華族 | |
職業 | 樞密顧問官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年八月 (1865) | |
親名・続柄 | 内田玄眞の長男 | |
家族 | 妻 政 明四、一二生、奈良、土倉庄三郞二女 | |
記述部分(略伝) | 君は舊熊本藩國老松井家の家臣内田玄眞の長男にして慶應元年八月を以て生れ明治十八年家督を相續す同二十年帝國大學法科大學政治科を卒業し交際官試補(華盛頓在勤)農商務大臣祕書官外務書記官公使館二等書記官同一等書記官辨理公使通商局長政務局長等に歷任し同三十二年特命全權公使に昇任し政務局長を兼ぬ尋で外務總務長官駐清公使となり日露戰役後全權大使に進み墺國及米國に駐箚し西園寺内閣に入りて外務大臣に親任せらる更に出でゝ駐露大使となり大正七年原内閣に入り再び外務大臣となり原首相の凶刄に斃るヽや臨時内閣總理大臣を兼攝し加藤友三郞の組閣するや依然外相の椅子を占む明治四十年日露事件の功に依り華族に列し男爵を授けらる同四十四年日米條約改正の功に依り子爵に大正九年日獨事件の功に依り伯爵に陞さる同十四年樞密顧問官に親任せられ現に其任に在り 家族は尚姪壽滿子(大元、一一生)あり 妹シツ(慶應三、九生)は熊本縣人奈須義質に同ノブ(明七、四生)は愛知縣人鈴木裕三に嫁し弟晋次郞(同三、五生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京市外大久保町西大久保三五〇 電四谷一九〇 | |
参照人物(親類) | ※青木鐵太郞、※佐伯理一郞 | |
参照次数 | 2 | |
読み | うちだ こうさい | |
別名 |