南部利淳 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊盛岡藩 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十七年六月二十五日 (1884) | |
親名・続柄 | 南部利恭の二男 ** | |
家族 | 妻 嚴子 明一八、八生、侯爵池田仲博養妹 男 利貞 明四二、五生 大叔父 利國 安政五、一一生 大叔母 壽子 天保七、一一生 | |
記述部分(略伝) | 當家は新羅三郞源義光の裔南部三郞光行の後なり光行源賴朝に從ひ藤原泰衡を討伐して功あり陸奥國糠部五郡を所領し代々同國三戸城に居る二十七代信濃守利直盛岡に城を築きて移り住す四十一代利恭明治二年藩籍を奉還して華族に列し同十七年伯爵を授けられ同三十六年薨去す長男利祥其後を嗣き同三十七年陸軍騎兵中尉を以て日露戰役に從軍し同三十八年戰死す享年二十四歳功に依り勳五等功五級に叙せらる 君は其弟にして明治十七年六月二十五日を以て生れ同三十八年家督を相續し襲爵仰付らる夙に法學に志し東京帝國大學法科大學を卒へて法學士の稱號を得たり 家族は尚長女瑞子(明四一、一生)あり 叔母貴子(同四、九生)は子爵鍋島直虎に姉庸子(同一二、一二生)は子爵毛利元秀に妹恭子(同一八、八生)は男爵島津久家に嫁し叔父信方(安政五、五生)は子爵南部家を嗣き同利克(明六、一〇生)は子爵南部家を相續せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、富士見町二ノ三五 電話番町二六一 | |
参照人物(親類) | 侯爵池田仲博、子爵南部信方、子爵南部利克、子爵鍋島直虎、子爵毛利元秀、男爵島津久家、※子爵秋元興朝 | |
参照次数 | 7 (※なし6) | |
読み | なんぶ としあつ | |
別名 |