島津久家 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳五等、功五級 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、宮崎縣華族 | |
職業 | 陸軍步兵大尉 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十年七月二十三日 (1877) | |
親名・続柄 | 北鄕久政の長男 | |
家族 | 妻 恭子 明一八、八生、伯爵南部利淳妹 | |
記述部分(略伝) | 當家は島津忠久十五世義久の後にして島津家の分家なり舊日向都城邑主にして四萬石を領す先々代久靜先代久寬共に維新の際國事に盡して功あり君其後を享く 君實は舊鹿兒島藩士北鄕久政の長男にして明治十年七月二十三日を以て生る同十七年先代久寬の養子となり同二十四年男爵を授けらる同三十五年陸軍步兵少尉に任し軍事學研究の爲め外國に在りしか日露の役起るや召集に應して近衞步兵第二聯隊に入り中尉に進み尋て野戰隊に加はり大尉に進む功を以て勳五等に叙し功五級金鵄勳章を賜はる 家族は前記の外長女久子(明四〇、八生)二女圭子(同四四、二生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、市ケ谷加賀町一ノ二 電話番町一〇二五 | |
参照人物(親類) | 伯爵南部利淳、北鄕久政、※子爵毛利元秀 | |
参照次数 | 3 (※なし2) | |
読み | しまづ ひさいえ | |
別名 |