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到津公凞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正四位、勳六等
爵位・身分・家柄男爵
職業官幣大社宇佐神宮々司、神職
性別男性
生年月日明治二年八月十九日 (1869)
親名・続柄 到津公誼の二男
家族母 壽子 弘化四、二生、大分、士、中川民部二女
妻 貞子 明一二、一二生、子爵九鬼隆治姉
弟 淳太 明一四、五生
記述部分(略伝)當家は高魂尊の裔なり三代の孫莵狹津彦命神武天皇東征の時莵狹に於て宇佐國造を賜はり後醒醐天皇の御宇四十六代公世の三男公連に至る元弘三年公連別に一家をなして到津と號し夫より二十一代を經て先代公誼に至る世々宇佐宮の神職たり明治五年華族に列し同十七年男爵を授けらる
君は其二男にして明治二年八月十九日を以て生る夙に宇佐小學校に入り同十三年より同十八年迄に豐後日出の碩儒米良石操の私塾に於て漢籍を修め同十九年より同二十三年迄學習院に學ふ同三十四年六月父公誼の逝去により家督を相續し尋て襲爵仰付らる同年七月官幣大社宇佐宮宮司に補し從四位に叙せられ同三十九年日露事件の功に依り勳六等瑞寶章を賜はり同四十二年正四位に昇叙せらる
家族は尚二女友子(明四三、一〇生)三女信子(大二、四生)あり
弟勇士(明五、八生)は男爵宮成公德の死跡を相續して公勳と改名せり
住所・電話番号大分、宇佐、宇佐町
参照人物(親類)子爵九鬼隆治、男爵宮成公勳、※野崎彦左衞門
参照次数4 (※なし2)
読みいとうづ きみひろ
別名
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