高島鞆之助 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊鹿兒島藩士 | |
職業 | 樞密顧問官、退役陸軍中將 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化元年十一月九日 (1844) | |
親名・続柄 | 高島嘉兵衞の四男 | |
家族 | 養子 友武 慶應三、三生、伯爵吉井幸藏弟 女 愛子 明一八、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊鹿兒島藩士高島嘉▲衞の四男にして弘化元年十一月九日を以て生る文久二年藩主に扈從して禁裏守護の大任に當り戊辰の役に勳功あり明治三年侍從に任せられ尋で侍從番長となり同七年陸軍大佐に任せられ爾後累進して同十六年陸軍中將に陞り同十七年特旨を以て華族に列し子爵を授けらる同十八年大阪鎭臺司令官に同二十一年第四師團長に補せられ同二十四年陸軍大臣に任せらる後ち樞密顧問官臺灣總督拓殖務大臣の諸官に歷任し再ひ陸軍大臣となり幾くもなくして之を罷め同三十一年樞密顧問官に任ぜられ現時其職に在り 二女球磨子(明一四、一生)は東京府士族樺山資英に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、富士見町五ノ一八 電話番町二八八 | |
参照人物(親類) | 伯爵吉井幸藏、高島友武、樺山資英 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | たかしま とものすけ | |
別名 |