樺山資英 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 南滿洲鐵道株式會社理事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治元年七月十四日 (1868) | |
親名・続柄 | 樺山資雄の長男 | |
家族 | 母 ナヲ 弘化二、三生、鹿兒島、士、樺山正之進長女 妻 球磨子 明一四、一生、子爵高島鞆之助二女 | |
記述部分(略伝) | 君は舊鹿兒島藩士樺山資雄の長男にして明治元年七月十四日を以て生れ同三十二年十二月家督を相續す夙に第一高等學校を卒業してコロンビヤ大學に入り尋てエール大學法學部に轉しバチエラーオブローの稱號を得更らに大學院に學ひマスターオブローの學位を受け後法學博士の學位を得二十八年陸軍省に入り爾來拓殖務大臣祕書官内閣總理大臣祕書官文部大臣祕書官等に歷任して令名あり後官を退きて東洋火災保險株式會社の創立に盡し擧けられて社長となり後南滿洲鐵道株式會社に入り方今其理事たり 家族は前記の外長女花子(明三八、九生)二女英子(同四〇、五生)三女貞子(同四一、五生)四女雅子(同四三、八生)あり | |
住所・電話番号 | 滿洲、大連、南滿洲鐵道會社々宅 | |
参照人物(親類) | 子爵高島鞆之助、※高島友武 | |
参照次数 | 2 (※なし1) | |
読み | かばやま すけひで | |
別名 |