Japanese

鈴木貫太郞 (4th Edition [January 1915] )

Rank/ Honors/ Grade正五位、勳三等、功三級
Title/ Family rank etc.千葉縣士族
Occupation海軍少將,海軍次官,海軍將官會議々員兼海軍省人事局長兼臨時海軍建築部長
Gender男性
Birthday慶應三年十二月二十四日 (1868)
Parent and relation 鈴木由哲の長男
Family父 由哲 天保五、一一生、現戸主
母 きよ 天保九、一〇生、栃木、平、小野寺治部三女
男 一 明三四、一一生
女 さかえ 明三一、一二生
弟 孝雄 明二、一〇生、從五位勳三等功三級陸軍砲兵大佐、陸軍省軍務局砲兵課長
弟妻 もと 明一七、五生、弟孝雄妻、子爵立見豐丸妹
弟 三郞 明九、三生、從六位勳五等、海軍大主計、臺灣總督府事務官兼參事官祕書官
弟妻 トネ 明一九、二生、弟三郞妻、熊本、士、木下廣次長女
Biography君は千葉縣士族鈴木由哲の長男にして慶應三年十二月二十四日を以て生る明治二十年七月海軍兵學校を卒業し同二十二年六月海軍少尉に任す爾來累進して大正二年五月海軍少將に昇れり其間鳥海分隊長橫須賀水雷隊攻擊部艇長對馬水雷隊攻擊部艇長常備艦隊附屬第三水雷艇隊艇長海門航海長比叡航海長金剛航海長海軍々令部第一局々員海軍省軍務局軍事課々僚海軍大學校教官海軍教育本部員獨國駐在春日副長第二艦隊驅逐隊司令海軍大學教官海軍教育本部員明石宗谷各艦長海軍水雷學校長敷島筑波各艦長等に歷補し大正二年五月舞鶴水雷隊司令官に同年八月第二艦隊司令官に同年十二月海軍省人事局長に補せられ同三年四月海軍次官に進み海軍將官會議員海軍省人事局長臨時海軍建築部長を兼ぬ日清日露の兩戰役に出征し功を以て勳三等功三級に叙せらる
家族は前記の外二女みつ子(明四〇、一生)甥武(同三五、二生、弟孝雄長男)同英(同四一、四生、同二男)姪千鶴子(同四四、三生、同二女)甥平太(同四〇、一〇生、弟三郞長男)同敏夫(同四五、二生、同二男)同義雄(大三、六生、同三男)姪須磨(明四四、三生、同二女)あり
姉けい(慶應元、九生)は故海軍大尉永田廉平に妹よし(明六、一一生)は靜岡縣人岡本〓太郞に嫁し弟茂(同一三、六生、陸軍步兵大尉)は滋賀縣人永田榮與祖父榮次郞の養子となれり
Address phone東京、北豐島、巢鴨村字宮下一五七六 電話番町四八〇七
Relative子爵立見豐丸,※高橋義章
Degree2 (except※1)
Pronounciationすずき かんたろう
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