一條實輝 (First Edition [April 1903] )
Rank/ Honors/ Grade | 從三位、勳六等、功五級 | |
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Title/ Family rank etc. | 公爵 | |
Occupation | 海軍少佐,貴族院議員 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 慶應二年八月廿四日 (1866) | |
Parent and relation | 四條隆謌の七男 | |
Family | 養祖母 順子 文政十年二月生亡養祖父忠香妻伏見一品宮故邦家親王次女 妻 悦子 明治十年九月生侯爵細川護成妹 女 經子 明治十八年九月生 同 靜子 明治二十年七月生侯爵醍醐忠重姉 | |
Biography | 當家は内大臣藤原鎌足の後從一位攝政太政大臣道家の三男實經より出づ實經二十一歳にして從一位に叙せらる其邸一條に在るを以て一條と改稱し當家の祖となる其より數代を經て内基に至り嗣子なきを以て後陽成院第九の皇子を請けて家を繼がしむ初の名は兼遐後に昭良と改む慶長十四年四月一條家に入り寬文十二年二月薨ず其子教輔より數代を經て忠香に至る忠香は文化九年二月十三日に生れ從一位左大臣となり文久三年十一月年五十二にして薨ず其三女壽榮君美子嘉永二年十一月二十八日に生れ皇后宮となり明治元年十二月二十八日入内し給へり忠香薨後其子實良家を繼ぎ明治元年四月薨ず三男奈良麿其後を享けしが繼承後僅にして卒し慶應四年六月支流醍醐忠順の三男忠良を養ふて嗣とし十五年二月忠良離緣後君忠良の後を享く 君は侯爵四條隆謌の七男にして慶應二年八月廿四日を以て生る幼名を孝丸と云ひ明治十六年七月一條實良の三女良子(死亡)の壻養子となり同九月家督を相續し同十月今の名に改む同十七年七月公爵を授けられ同九月海軍兵學校に入り同二十二年一月佛國留學を命ぜられ二十五年二月業を卒へ歸朝するに際し帝國軍艦松島號の廻航委員を仰せ付けられ同年十月歸朝後海軍大尉となり吉野分隊長を命ぜられ二十八年十一月征清役の功に依り功五級金鵄勳章並に年金三百圓及勳六等瑞寶章を授けらる二十九年橫須賀水雷艇隊艇長に同三十年和泉分隊長に補せられ三十一年三月橫須賀水雷團副官となり同年八月龍田水雷長に三十三年五月橫須賀鎭守府兵事官に補せらる 家族は前記の外三女朝子(明治三十五年六月生)養子道良(明治十七年八月生公爵九條道孝五男)等にして長男實基(明治三十四年一月生)は卅五年三月同番地に分家し養女信子(明治十二年四月生)は子爵水野忠教男忠亮に養叔母福(安政五年四月生)は男爵池田無適齋に嫁せり | |
Address phone | ||
Relative | 伏見宮家,侯爵細川護成,侯爵醍醐忠重,侯爵四條隆愛,公爵九條道孝,子爵水野忠教,男爵池田長準 | |
Degree | 7 | |
Pronounciation | いちじょう さねてる | |
Another name | 孝丸 |
JINJIKOSHINROKU (who's who)
- First Edition [April 1903]
- 4th Edition [January 1915]