大和田莊七 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | ||
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Title/ Family rank etc. | 福井縣平民 | |
Occupation | 福井縣多額納税者,大和田銀行主,株式會社大和田貯蓄銀行頭取,敦賀對北株式會社,大和田炭礦株式會社各社長,株式會社久二貯蓄銀行頭取,敦賀商業會議所會頭,大慶庄,船積問屋 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 安政四年二月十一日 (1857) | |
Parent and relation | 山本三郞兵衞の子 * | |
Family | 男 正吉 明一四、五生、大和田銀行理事兼營業部長 婦 タマ 明二四、一一生、長男正吉妻、佐賀、士、川原義太郞二女 男 信吉 明一六、四生、工學士、越前電燈株式會社技師長 男 立吉 明二五、一一生 男 繁次郞 明二七、二生 養子 勇 明八、五生、長女とみ夫、和歌山、士後藤榮藏長男、法學士 女 とみ 明一七、五生、妻子勇妻 | |
Biography | 君は福井縣平民山本九郞左衛門の弟にして安政四年二月十一日を以て生れ明治十二年二月先代豐方の養子となり同年十二月家督を相續し舊名龜次郞を改め先代の名を襲く屋號を大慶庄と稱し世々船荷問屋を營み又北海道物産委托販賣を業とす縣下第一位の多額納税者にして直接國税六千餘圓を納む先是明治二十五年地方金融界に資する爲め獨力大和田銀行を設立し次て大和田貯蓄銀行久二貯蓄銀行大和田炭礦株式會社敦賀對北株式會社等を設立して其頭取若くは社長となり鋭意事業の經營に努む四十年敦賀商業會議所の設けらるゝや推されて其會頭となり現に其任に在り其他公共事業に盡瘁する處尠からす 家族は前記の外孫ミツ(明三七、八生、養子勇長女)同富久(同三九、一生、同二女)同敦彦(同四〇、二生、同長男)同田鶴子(同四一、三生、同三女)同富美子(同四四、四生、同四女)同雛子(同四四、三生、長男正吉長女)同博(同四五、三生、同長男)あり 妹たか(明二、一生)は其夫金之助(慶應二、八生、滋賀、平、大橋辨治郞兄)及其子女と共に分家し四女龜(明二三、五生)は福井縣人山田斂長男甫に嫁し姪しげ(同三二、九生、養弟金之助四女)は同縣人西部利三右衛門の養子となれり | |
Address phone | 福井、敦賀、教賀町 | |
Relative | 山本九郞左衛門,後藤榮藏,山田斂,川原義太郞 | |
Degree | 5 (except※4) | |
Pronounciation | おおわだ しょうしち | |
Another name | 龜次郞 |
JINJIKOSHINROKU (who's who)
- 4th Edition [January 1915]
- 8th Edition [July 1928]