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川原義太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正六位、勳六等
爵位・身分・家柄佐賀縣士族
職業辯護士、臺灣漁業株式會社社長、明治製糖株式會社、臺灣煉瓦株式會社、臺南輕便鐵道株式會社各監査役、株式會社臺南新報社相談役、臺南内地人協會長
性別男性
生年月日安政六年四月七日 (1859)
親名・続柄 川原道種の長男
家族妻 れい 明一三、一〇生、大阪、平、亡壺井庄兵衞長女
男 昇 明一九、三生
弟 鎌吉郞 文久元、一一生
弟妻 サキ 文久元、五生、弟鎌吉郞妻、佐賀、士原長氏妹
弟 五郞 明一一、四生
弟妻 ひろ 明一九、一生、弟五郞妻、男爵東鄕安妹
養甥 幸太郞 明一一、一生、姪ハル夫、廣島、平、塚本泰次弟
姪 ハル 明一九、三生、養甥幸太郞妻、弟鎌吉郞長女
記述部分(略伝)君は佐賀縣士族亡川原道種の長男にして安政六年四月七日を以て生れ明治三十年十月家督を相續す夙に官海に入り明治三十二三年の交臺灣臺南地方法院長として令名あり後官を辭して辯護士となり臺灣實業界に其手腕を振へり現時臺南内地人協會長に推され尚前記諸會社の重役たり
家族は前記の外甥道正(明三九、七生、弟五郞長男)同亨(大元、八生、同二男)姪孝(明四二、一生、同長女)同淑子(同四三、一二生、同二女)姪孫道俊(同四〇、九生、養甥幸太郞長男)あり
長女テイ(同二一、八生)は京都府士族金田小太郞弟政四郞に二女タマ(同二四、一一生)は福井縣平民大和田莊七長男正吉に妹フサ(同一八、八生)は長野縣平民川上正一に嫁し弟袈裟太郞(同二、一二生)は其妻キン(同一四、一一生、千葉、士、大野右仲三女)及ひ其子女と共に分家せり
住所・電話番号臺南丙
参照人物(親類)男爵東鄕安大和田莊七
参照次数2 (※なし2)
読みかわはら よしたろう
別名
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