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尾崎行雄 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正三位、勳四等
爵位・身分・家柄三重縣士族
職業司法大臣、衆議院議員(三重縣郡部選出)
性別男性
生年月日安政六年十一月二十日 (1859)
親名・続柄 尾崎行正の長男
家族父 行正 天保九、九生
妻 英 明三、一二生、男爵尾崎三良女
男 行輝 明二一、一生
弟 行隆 慶應元、一二生
記述部分(略伝)君は三重縣士族尾崎行正の長男にして安政六年十一月二十日を以て生る夙に慶應義塾に學ひ業卒へて筆を峽中新報社報知新聞社に執り後新潟新聞の主筆となる大隈伯の知遇を得統計院少書記官となり同伯の辭職と共に野に下り改進黨を組織し條約改正の論起るや保安條例に觸れて逐客となり後歐米に遊ひ同二十二年歸朝す帝國議會開設以來三重縣より推されて衆議院議員に當選すること十一回現に其職にあり同三十年外務省勅任參事官となり同三十一年憲政黨内閣の成るや文部大臣に任せらる偶々言論物議を招き遂に辭職す曩に憲政本黨を脱して政友會に入り後又同會を去つて猶興會に入り政友會に歸りしか桂内閣最後に當りて憲政擁護を主唱し再度同會を脱して別に一派を組織し中正會と稱し之か首領たり大正三年大隈内閣の成立と共に入りて法相となる甞て選はれて東京市長に擧けらる
家族は前記の外二女シナエ、イユセニエア(明三九、一一生)三女雪香(同四五、一生)あり
弟行昌(同八、三生)は分家し養子多滿(同二二、三生、東京府人淺見萬吉三女)は廣島縣人河野唯助二男光次に嫁し妹千代(同一三、二生)は神奈川縣人天野藤三郞長男康三に同はる(同一五、一〇生)は三重縣人中出貞八に長女清香(同二四、五生)は福井縣人佐々木繁太郞弟久二に嫁せり
住所・電話番号東京、麴町、西日比谷町司法大臣官舍 電話新橋七八〇
参照人物(親類)男爵尾崎三良、※子爵倉橋泰昌、※高田茂、※齋藤福之助
参照次数4 (※なし1)
読みおざき ゆきお
別名
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