尾崎行雄 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 三重縣士族 | |
職業 | 衆議院議員政友會總務委員(三重縣選出) | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政六年十一月二十三日 (1859) | |
親名・続柄 | 尾崎行正の長男 ** | |
家族 | ||
記述部分(略伝) | 君は安政六年十一月二十三日を以て生る慶應義塾に入り卒業後峽中新報社報知新聞社に入て快筆を揮ふ後新潟新聞の主筆となり地方文壇に異彩を放つ大隈伯の知遇を得て犬養氏と共に統計院權少書記官に擢でられ正七位に叙し後伯の辭職と共に民間に下り改進黨を組織し去て朝野新聞に入る條約改正論起るや故後藤伯等と結んで之を攻擊し保安條例の逐客となり歐米を漫遊して二十二年歸朝二十三年國會の開設あるや衆望の推す所となり三重縣第四區より衆議院議員となり爾來引續き今日に至る此間松隈内閣の組織せらるゝや外務勅任參事官に任じ正五位に叙せらる後憲政黨内閣に當て文部大臣に親任せられて正三位に進む當時其言論世の物議を招き辭職後憲政本黨總務委員として黨の帷幄に參す後君所信あり決然二十年來の政友と絶て政友會に入り現に其の總務委員の重任に就く 「戸籍取調中」 | |
住所・電話番号 | 東京府荏原郡北品川東海寺跡 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | おざき ゆきお | |
別名 |