尾崎三良 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 男爵、舊宮家々臣 | |
職業 | 貴族院議員、宮中顧問官、平安義會々長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十三年一月二十二日 (1842) | |
親名・続柄 | 尾崎大進の三男 | |
家族 | 妻 八重 安政二、一生、東京、平、戸田玉井養女 男 洵盛 明一三、一一生、正五位勳六等、外務省參事官 婦 多嘉子 明二三、七生、男洵盛妻、男爵千家尊福四女 男 昌盛 明一七、一〇生 男 繁盛 明二三、六生 男 雄盛 明二四、八生 | |
記述部分(略伝) | 君は故仁和寺宮家の大夫尾崎大進の三男にして天保十三年一月二十二日を以て生る幼名を棄若と稱す初め三條實美公に勤仕し後七卿の流竄に隨從して共に配所に赴き後其召還に從て京師に入れり慶應年間三條公の世子公恭と共に英國に留學すること六年歸朝して太政官に出仕し爾來左院議官内務圖書頭大亟法制局主事元老院議官法制局長官等に歷任し同二十三年貴族院議員に勅選せられ同二十九年維新の勳功に依り華族に列し男爵を授けらる同四十年日露戰役の功に依り勳一等に叙せらる 家族は前記の外孫華子(明四三、四生、長男洵盛長女)同龍子(大二、二生、同二女)あり 長女壽子(明一九、五生)は高知縣平民小野義一に庶子女賀子(同一九、六生、生母、東京、平、戸田美知)は子爵倉橋泰昌に女英(同三、一二生)は三重縣士族尾崎行雄に二女君子(同六、一〇生)は瑞典國人ヘンリツクオークテルロニに庶子女朝子(同二一、九生、生母、東京、平、戸田美知)は東京府平民齋藤福之助に三女元子(同二八、一生)は秋田縣平民物部長元二男長穗に嫁し三男盛貞(同一六、九生)は東京府平民戸田美知に五男望盛(同二〇、七生)は京都府人高田茂長男友之助に三女壽惠子(同二九、二生)は東京府平民石綿富士松養子孝太郞に各養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、麻布、六本木町六七 電話芝三一三 | |
参照人物(親類) | 子爵倉橋泰昌、男爵千家尊福、尾崎行雄、齋藤福之助、高田茂、※子爵毛利元忠、※北岡鶴松 | |
参照次数 | 8 (※なし5) | |
読み | おざき さぶろう | |
別名 | 棄若 |