小笠原長生 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳三等、功四級 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊唐津藩主 | |
職業 | 海軍大佐、學習院御用掛、東宮御學問所幹事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應三年十一月二十日 (1867) | |
親名・続柄 | 小笠原長行の長男 | |
家族 | 母 ます子 嘉永元、正生、亡小笠原長國長女 妻 秀子 明一二、三生、伯爵松平直之姪 男 長隆 明三三、六生 弟 丁 明一一、一生 婦 ツネ 明▲五、一二生、弟丁妻、東京、平、小堀鞆音長女 女 武子 明三二、三生 | |
記述部分(略伝) | 當家は鎭守府將軍源經基の裔信濃守秀政の三男忠知の後なり忠知德川氏に仕へ豐後國杵築四萬石を食む後三州吉田に移封され封邑四萬五千石に增加せられ數世を經て長國に至る明治維新の際肥前唐津の城主として封邑六萬石を領す 君は其嫡孫にして長行の長男なり幼名を賢之進又は捨丸と稱す慶應三年十一月二十日を以て生る明治六年先代長國の家督を相續し同十七年子爵を授けらる君夙に海軍兵學校に入り卒業して二十年海軍小尉候補生となり累進して海軍大佐に陞れり日清の役勳功を樹て功五級に叙し金鵄勳章並に勳六等瑞寳章を授けらる日露の役には勳三等に叙し功四級を授けらる後海軍軍令部に出仕し現時は學習院御用掛にして東宮御學問所幹事たり君文學に長し金波樓主人と號し著書尠なからす 家族は前記の外次男長英(明三五、七生)二女信子(同三九、三生)四女日佐子(同四一、二生)甥正元(同四五、七生、弟丁長男)あり 妹艷子(同九、一生)は山形縣士族佐藤鐵太郞に嫁し弟壬午郞(同一五、八生)は故貴族院議員名村泰藏の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、代々幡村幡ケ谷九 電話番町四三〇三 | |
参照人物(親類) | 伯爵松平直之、佐藤鐵太郞、※公爵德大寺實則 | |
参照次数 | 3 (※なし2) | |
読み | おがさわら ながなり | |
別名 |