小笠原長生 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳六等、功五級 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 子爵、肥前唐津藩主 | |
職業 | 海軍少佐 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應三年十一月二十日 (1867) | |
親名・続柄 | 小笠原長行の子 | |
家族 | 妻 秀子 明治十二年三月生伯爵松平基則妹 弟 丁 明治十一年一月生 弟 壬午郞 明治十五年八月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は源經基五代義光の裔小笠原秀政の男忠知の後なり忠知德川氏に仕へ三州吉田の城主となりそれなり十一世を經て長國に至る維新の際肥前唐津の城主として六萬石を領す 君は其嫡孫にして從四位長行の男なり慶應三年十一月二十日を以て生る幼名を賢之進又捨丸といふ明治六年祖父長國の家督を相續し同十七年七月子爵を授けらる同年海軍兵學校生徒となり同二十年七月海軍少尉候補生となり筑波艦に乘込み米國に航す同二十四年七月海軍大學校丙號學生を仰付られ同二十六年七月橫須賀鎭守府海兵團分隊士に屬し同年同月分隊長心得を仰付られ同二十六年十二月海軍大尉に任じ高千穗分隊長に補し同二十七八年の戰役に偉勳を奏し同三十二年九月同少佐に任じ同三十三年十二月海軍大學校教官に補せらる同六年從五位より同三十年十二月從四位に昇叙し金鵄勳章及瑞寶章を賜ふ君又文筆に長じ著述尠なからず 家族は前記の外女武子(明治三十二年三月生)男長隆(同三十三年六月生)同長英(同三十五年七月生)あり 妹艶子(同九年一月生)は山形縣士族佐藤鐵太郞に叔母なほ(嘉永二年四月生)は子爵松平信安兄信庸に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京府下豐多摩郡幡ケ谷村九 | |
参照人物(親類) | 子爵松平信安、伯爵松平基則 | |
参照次数 | 3 | |
読み | おがさわら ながなり | |
別名 | 賢之進、捨丸 |