細川潤次郞 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊高知藩士 | |
職業 | 樞密院顧問官兼文事祕書官長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保五年二月二日 (1834) | |
親名・続柄 | 細川延平の子 | |
家族 | 妻 まさ 弘化元年五月生貴族院議員西村亮吉妹 男 一之助 明治四年八月生 同 源次郞 明治六年十二月生 同 源三郞 明治九年十一月生 婦 芙容子 明治十三年八月生一之助妻侯爵大山巖次女 婦 廣子 明治十七年二月生源次郞妻東京府士族吉田勝任妹 | |
記述部分(略伝) | 君は高知藩士細川延平の男にして天保五年二月二日を以て生る初め藩黌に入りて學び出藍の譽あり安政五年藩命を以て幕府操練場に入り航海術を學び明治四年藩選を以て歐米に留學し歸朝後工部民部文部の諸官に歷任し同十九年元老院議官に任ぜられ同二十三年同院廢せらるゝや貴族院議員に勅選せられ第二回以來第四回迄同院副議長たり同廿六年文事祕書官長に同年樞密院顧問官に同年華族女學校長等に任ぜられ同年貴族院議員を辭し同卅年東宮太夫同卅二年學習院長となる同卅三年五月勳功に依り華族に列し男爵を授けられたり 前記家族の外妹幸(天保十一年六月生)あり 女壽美(明治元年九月生)は廣島縣士族高島虎太郞に同あつ(同十年八月生)は東京府士族宍道弘一に同しげ(同十年八月生)は山形縣人黑井悌次郞に同淑(同▲四年九月生)は高知縣士族小岡熊治に嫁し男源四郞(同十六年五月生)は高知縣人辻村銘助の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京市神田區駿河臺北甲賀町一 電話本局三五六 | |
参照人物(親類) | 侯爵大山巖、西村亮吉 | |
参照次数 | 2 | |
読み | ほそかわ じゅんじろう | |
別名 |